映画・テレビ

ブルーインパルス

先日NHKのハイビジョン特集でブルーインパルスの特集をやっていました。

ブルーインパルスとは航空自衛隊のアクロバット飛行専門チームで、航空自衛隊のお祭りや国民行事などでショーをやっています。

今まであまり興味もなかったんですが、番組を見てあまりにもカッコ良かったのですっかりファンになってしまいましたheart02

一糸乱れぬ編隊飛行、華麗な技の数々。。。興味のある方はYouTubeで動画をどうぞ~。

ブルーインパルスには全国の自衛隊からよりすぐりのパイロットが選ばれてくるのですが、そんな彼らも赴任して慣れるまでは戦闘機とは勝手の違う飛行技術に自信をなくすそうです。

相手の機体と90cmという近さで密接して飛んだり、低空で飛びながら技を披露したり。

急降下、急上昇、回転により体には体重の4~6倍もの負荷がかかり、そのままだと失神してしまうので特殊なスーツを着て飛行しています。

ブルーインパルスの任期は3年、日々死と隣り合わせの訓練を積んでいます。

観客を魅了するために、さらに高度な新しい技についての議論もかかせません。

隊の陣頭指揮をとり隊員たちの安全に気を配ってる隊長の重圧は相当なものでしょうね。

番組で紹介されていた山口隊長は、出勤してくるとまず航空ショーや訓練中の事故で亡くなった先輩の写真に手を合わせ、一日の安全を祈ると言っていました。

ブルーインパルスには9年目のジンクスというのがあって、1982年、1991年、そして2000年と9年ごとに事故が起こっています。

去年が前回の事故からちょうど9年目にあたっていました。

ジンクスのプレッシャーは相当なもので、隊員の気持ちが負の方向に向かうのを防ぐため、山口隊長は隊員のプライベートも含めて問題はないかと影に日向に気を配っていました。

幸い2009年には事故は起こらず、山口隊長は無事任期を終えました。

後任の隊長に職を譲った後「任期を終えて寂しさはあるか。」とインタビューされて、「やることはすべてやったので心残りは一切ない。ブルーインパルスを楽しいと思ってやったことは一度もない。それは遊びではないからです。」と答えていました。

重責を負った人間の発する一言一言。。。深く重々しかったです。

さらに「自分は自分の色をすべて消して隊を去っていく。今後は新しく赴任した隊長が自分の色で隊を率いていく。」とも。

なんだかかっこいいー、隊長!男の中の男って感じじゃあないですかっheart04

すっごくブルーインパルスのショーを観たくなりました。

近場だと11月3日に入間基地の航空祭で観られるようなので足を運んでみたいと思います。

映画『ダウト あるカトリック学校で』

メリルストリープ出演の映画『ダウト あるカトリック学校で』を観ました。

あらすじ通り重いテーマの作品でした。

「人は確信がもてないときどうするか」

フリン神父がある生徒と不適切な関係にあるのではないかという疑惑がもちあがり、確固とした証拠はないものの、メリルストリープ演じる厳格な校長が「神父は黒である」という確信のもと不正を追及していきます。

校長は常に生徒を監視し、少しでも規則をやぶった生徒には容赦なく罰を与えるタイプ。

当然生徒からは恐れられています。

一方の神父は寛容、開かれた教会を目指し生徒達から人気があります。

新米のシスターは神父と話をするうちに神父に対する疑惑が晴れ、彼を信じる気持になります。

しかし校長は「信じれば楽になれるから、あなたは神父を信じて嫌な問題をさっさと片付けたいだけ。」と言い放つのです。

初めにゃひみきは新米シスターと同じく神父の話を素直に信じ、校長はなんと疑い深い人間なんだろうと非難する思いで観ていました。

確たる証拠もないのにどうして神父を問いただすことができるのか。。。

でも場面がすすんでいくうちに、単に疑い深いのではなく、大切な生徒を守るため彼女が職を賭し、カトリックの教えを破ってまで神父を追及していることを知りました。

このあたりの校長と神父の主張のぶつかり合いは息をもつかせぬ迫力です。

また、校長が生徒の母親にも相談するのですが、この時の母親の反応が意外なものでした。

世の中にはどうあるべきか単純に白黒つけられない複雑な事情があるのですね。。。

親が子供を虐待しているのではないかという疑惑を持ちながら、学校も児童相談所も何もできず、親の言い分を信じているうちに子供が殺されてしまったなど、同じような状況はたびたび問題になります。

これも人の言うことを信じて安きに流れたいという心理が根底にあるのではないでしょうか。

ある疑惑について、その解決に向け行動するというのは、関係者への根気強い説得、意見が対立しても批判されても自分の信念にもとづき行動する精神力、忍耐、時として自分の職をかける勇気などが試されます。

ましてや、この映画では、校長(シスター)より神父の方が職位が上で、神父のいうことは絶対なのです。

そして人に対して疑惑の目を向けるというのはつらいものです。

そのあたりのことが最後の校長のシーンに表現されているとにゃひみきは思います。

はっきりとした結論は示されていないので、人によってこの映画の見方はさまざまだと思います。

同じような状況にあって自分ならどう感じるかどう行動するか、もやもやと考えさせられました。

NHK朝の連ドラ 『ゲゲゲの女房』

『ゲゲゲの女房』おもしろいです!

マンガ家水木しげるの奥さんである布美枝さんの自伝がドラマ化されています。

ふたりの故郷は鳥取の境港と島根の安来。

にゃひどらさんの故郷でもあるので親近感をもって見ています。

現在放送されているのは、水木しげると布美枝が結婚後、東京の調布で新婚生活を始めたばかりの頃。

ふたりはなんとお見合い後5日で挙式して、翌日には水木しげるが生活していた調布にやって来るのです。

当時の調布は田園の広がるド田舎で家は想像を絶するあばら家。

貸本マンガ家をやっていた水木しげるは一日中部屋にこもって漫画を描いていますが、貧乏な暮らしぶりでした。

東京へやってきた早々買い物をしていた布美枝が置き引きに合ったり、お金がないため見知らぬ間借り人を2階に住まわせることになったり、家に風呂のないしげるの兄一家が入浴するために通ってきたり。。。ドタバタ続きです。

お互いをよく知らないまま結婚したふたりですが、ちょっとずつ距離が縮まっていきます。

描きあげた漫画でもらったなけなしのお金で布美枝に自転車を買い、ふたりで深大寺までサイクリングする初デートなどは見ていて微笑ましいheart01

深大寺を散策して、しげるに「とっておきの場所がある」と連れて行かれた場所がなんと墓地でした。

しげるが目を輝かせて「この墓は元禄時代のものです!こうしていると死者と話ができる感じがして面白いです。」と言うんです。

妖怪まんがを描く水木しげるらしいエピソードですね。

ストーリーも面白いのですが、何といっても、松下奈緒の演じる布美枝と向井理演じる水木しげるに好感がもてます。

水木しげるは戦争中片腕をなくしていますが、どんな状況でもひょうひょうとしていてたくましい。

戦地で食料が乏しく兵士がみなやせ細っている中、なぜか水木しげるだけが丸々している。

彼は現地の人と仲良くなって鶏の丸焼きを食べさせてもらったりしていたんだそうです。

他にも個性的なマンガ家仲間がしげるのところに集まってきたり、貸本屋の人情あふれる女店主の話など昭和の古き良き時代がほのぼのさせてくれます。

ぜひ見てみてくださ~い!

焼け跡とバウムクーヘン ~あるドイツ人夫妻の苦難と愛~

 デパ地下でよく見かけるユーハイムのバウムクーヘン。

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よく覚えていないけれど、社会人になってから頂き物で食べたのが初めてだったような気がします。

それまでにもバウムクーヘンという名のお菓子は食べていましたが、ユーハイムのものを食べたとき、しっとりした生地に加え、外側の砂糖がけ部分がうっとりするおいしさで印象的でした。

 1909年に中国の青島でドイツ人カール・ユーハイムがお店を始めてから100年経ち、NHKの歴史秘話ヒストリアという番組でユーハイムの100年の歴史が紹介されていました。

当時中国の青島はドイツの租借地でした。

ビール職人の10番目の子供だったカールは、自分は家業をつげないので、外国で一旗あげてやろうとシベリア鉄道で青島へやってきたそうです。

そこですぐにカールの作るバウムクーヘンは評判になるのですが、第一次大戦勃発。

日本軍が青島に攻め入りドイツは降伏、カールは捕虜として日本の収容所に入れられました。

 1918年に広島県物産陳列館でドイツ俘虜技術工芸品展覧会が開催されました。

広島県物産陳列館とは現在の原爆ドームのこと。

当時は広島県の産業を奨励するために県内外の工芸品や産業品を展示即売する会場として使われていたそうです。

また、日本軍は俘虜の中に技師や職人がいるとその技術(麦酒醸造など)を日本の産業発展にも役立てようと工芸学校などに派遣していました。

カールはこの展覧会でバウムクーヘンを出品し大好評だったため、日本で菓子職人としてやっていこうと決意したそうです。

 その後、銀座の洋食屋で働き、36歳のときに横浜で独立しますが、関東大震災に被災し店は全壊、助けを求めて神戸へ移り住みます。

横浜と神戸に住む外国人同士はテニス、ラグビー、レガッタなどの対抗戦を通じて交流があり、神戸に住む外国人は横浜で被災した外国人のために自宅を開放するなどして助けたそうです。

神戸で店を再開し、カールのバウムクーヘンは再び評判をよんで軌道にのりますが、1939年に第二次世界大戦勃発。

1945年3月6日の神戸大空襲により店は全焼してしまいます。

戦争による心労で病床についていたカールは1945年8月14日、59歳で死去しました。

 カールの妻エリーゼは終戦後ドイツへ強制送還されてしまいますが、戦後8年たって再び日本へ戻ってきました。

カールの弟子たちが再興した店の社長として迎え入れられたとのことでした。

1971年にエリーゼも亡くなりますが、カールのバウムクーヘンはエリーゼから職人たちに受け継がれ、現在に至っているそうです。

 それにしても今食べているバウムクーヘンは、2回の世界大戦、関東大震災にあい、そのたびに店を失っても諦めず一からやり直してきたカールとエリーゼ夫妻によって伝えられたものなのですね。

今まで「どこにでもあるお菓子」くらいの目でしか見ていなかったのですが、背後にある職人たちの情熱、努力を知って見る目が変わりました。

ドイツでは「バウムクーヘン職人は長生きしない」と言われているそうです。

昔ながらのバウムクーヘンは手で回転軸を回しながらまんべんなく生地を焼き、焼けたらまたその上から生地をかけ続けるという手の込んだ作業で作るので、気を抜けないし絶えずオーブンの熱にさらされて内臓への負担が大きいのです。

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ひとつひとつ手焼きしている職人たちは、過酷な環境の中で命を削るようにして作業しているんですね。

そして、のっぺりとした円筒形のバウムクーヘンではなく、ぼこぼことした突起が出ているものがありますよね。

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私は今まで円筒形の方しか食べていませんが、あの突起は角(つの)と呼ばれ、伝統的で素朴なバウムクーヘンの証なのだそうです。

職人肌のカールもいかに角を出すかにこだわっていたそうです。

 番組を見たにゃひどらさんはバウムクーヘンを食べたくなったとみえ、出かけた帰りにバウムクーヘンを買って帰ってきました。

これは北海道の柳月というお店のメープルシロップがけバウムクーヘンです。

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メープルシロップが香ばしくて外側の砂糖がパリパリしていておいしい。

今いろいろなメーカーでバウムクーヘンが作られていますが、ドイツ職人の技のおかげなんですね。

↓カール・ユーハイム&エリーゼ・ユーハイム夫妻

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「千と千尋のスピリチュアルな世界」

 水曜日、会社帰りに東京は飯田橋の東京大神宮まで行ってきました。

ここは縁結びにご利益があるという噂のパワースポットなんです。

http://trendy.nikkeibp.co.jp/article/column/20080205/1006765/?P=1

彼氏がいない会社の同僚二人も会社帰りにお参りに行っていました。

私が行った時は夜だったのですっかり暗くなっていましたが、それでも境内には会社帰りと思われる女性の参拝客が何人かいました。

 で、私は何をしにここへ来たかと言うと、NPOちんじゅの森という団体が主催する”アニメで読み解く千と千尋のスピリチュアルな世界」”という講座を受けるためでございますhappy01

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以前『千と千尋の神隠し』を観たときに、単純に面白かったー!と言えない、何か消化しきれないものを感じたのです。

宗教学者の正木晃先生がそこに秘められているスピリチュアルな要素を解説しながら、日本の伝統文化について話してくださるということだったので、興味深く聴講しました。

 正木先生は大学で教鞭を取るうち、アニメを題材にして学生を講義内容に惹きつけることを思いついたそうです。

日本人の伝統文化を知るのに、能などの伝統文化そのものを見るより、アニメなどで日本文化のエッセンスを感じる方が現代人にとってはより実感がわいて分かりやすいとのことでした。

 正木先生によれば、宮崎駿氏のアニメの根底にはアニミズムがあるそうです。

アニミズムとは、風や道端の石ころなどすべてのものに命が宿っているという考え方。

日本人には受け入れやすい考え方ですが、一神教のイスラム教、キリスト教では受け入れがたい考え方です。

正木先生はいくつかの場面を選んでそこに込められた監督の意図を説明しました。

初めに千尋の両親と千尋が謎のトンネルに入って行き、両親が豚に変えられてしまう場面についてsearch

千尋の両親はグレーのアウディに乗っていますが、灰色は無機質ではっきりしない色であり、しっかりした価値観がないことの象徴として考えられます。

(そういえばこのブログの背景は思いっきり灰色coldsweats02)

両親はトンネル先の無人の食堂でおいしそうな肉を見つけ、「お店の人が来たら肉代を払えばいい」と言って断りもなく食べ始めたことで豚にされてしまいます。

この場面では、アウディに乗っていたり新居を購入するなどお金は持っているが、きちんとした価値観もなく道徳観もない人間を批判しているのだろうと正木先生は解説していました。

次に千尋が油屋への橋を渡る場面についてsearch

橋を渡るというのは日本文化では別世界に行くことを意味します。

橋を渡っているひしゃく、鍋、桶等の道具はつくも神。

日本の民間信仰では、単なる道具も長い年月を経ればそこに神が宿ると考えます。

油屋の庭にはアジサイ、さざんか、紅梅といった季節の違う花が同時に咲いています。

これは人間界とは異なる、神々の世界を表しています。

昔描かれた極楽浄土の絵の中でも四季の花が同時に咲いているそうです。

正木先生は、神様、おばけ、妖怪の違いを説明してくれました。

はじめはみな神様なのだそうです。

神様は人間が崇め奉ってくれないとぐれてしまい、グレたものがおばけになり、それが不良化したものが妖怪なのだそう。

神様がぐれるという考え方が面白いですね。

トンネルへと続く山道の横にたっている楠(クスノキ)についてsearch

千尋の父親が道を間違えて山道をアウディで突っ走っている時、大きな楠が映る場面があります。

落雷のため木の先端部分がなく、楠の前には赤い鳥居があります。

神社には雷にうたれて頭のない木がご神木としてよく祀られていますが、落雷は神が降りてきたと信じられていたためだそうです。

落雷の多い年は稲がよく実るそうで、科学的には空気がイオン化して受粉率が上がるためと証明されています。

昔の日本人は経験的に落雷と豊作の因果関係を知っていて、雷を神として崇めたのではないかということでした。

また、巨木となった楠自体もしばしばご神木として祀られています。

日本において初期に作られた仏像は、そのほとんどがクスノキ製なのだそうです。

カオナシについてsearch

表情がなく言葉もしゃべれない、自分というものをもたないカオナシ。

油屋の従業員を飲みこんでどんどん強大になっていくさまは肥大化した欲望の象徴。

ロリコンで千尋を追い求めます。

金で千尋の心を振り向かせようとするところは、かつて「金で買えないものはない」と言ったライブドアのホリエもんを彷彿とさせます。

千尋に「家族は?」と尋ねられ、ただ「寂しい寂しい」とだけ答えるカオナシ。

カオナシは千尋と銭婆(ぜにーば)のところ(死後の世界を意味する)へ行ったまま戻ってこない。

正木先生によると、生の世界で自分の居所を見つけられずに死を選んだという解釈ができるとのことでした。

銭婆の住む駅へ向かう列車についてsearch

私は『千と千尋~』を観た時、水の中を列車が走って行くこのシーンがとても美しくて印象的でした。

でも同時に、とても静かで温かみも感情もない、異次元的なものを感じました。

電車の行き先は”中道”、千尋はこの電車に乗って6つ目の駅の”沼の底”という駅まで行きます。

正木先生によると、銭婆の住む世界は死後の世界を表しているそうです。

”中道”の中という言葉は、何かと何かの間をとりもつという意味があります。

ここでは、湯婆婆(ゆばーば)の住む生の世界と銭婆の住む死後の世界をつなぐという意味になります。

また、6つ目の駅の6という数にも意味があります。

仏教では六道という考え方があります。

この世には仏の世界から地獄まで6つの世界があり、迷いある者が輪廻するのだそうです。

電車に乗っている乗客はみな黒い影で死者を表しています。

千尋が列車に乗っている間に途中下車したり途中から乗って来た乗客たちは、この6つの世界を輪廻しているのでしょうね。

現実の世界に帰って来た荻野一家のその後についてsearch

豚にさせられてしまった両親を千尋が無事助け出し、再び元の世界に帰ってくる荻野一家。

行きと同じトンネルを帰ってきますが、そのトンネルの描かれ方は全く違います。

私は全く気にも留めていませんでしたが、みなさん気づきましたか?

行きは赤色をした漆喰のトンネルなのですが、帰りは(確か)石造りで草も生えています。

正木先生によれば、これは月日がだいぶ経っていることを表しているそうです。

昔話では異次元と人間界とは時間の流れ方が全く違っていて、異次元の1日が人間界の1年だったり10年だったりします。

浦島太郎の昔話もそうでした。

荻野一家も全く同じところへ戻って来たと思っているが、実は違う時代へ来てしまったのかもしれない。

にもかかわらず千尋の両親は行きと帰りで全く同じ会話をしています。

つまりこの両親はまるで進歩していないのです。

違うところへ来てしまったにもかかわらず気づかない、果たして新しい生活に順応していけるのだろうか、アニメの終わりはあまりハッピーエンドとはいえないとのことでした。

 ・・・以上が宗教学者、正木先生のお話でした。

気にも留めないような細部に日本人の信仰心や宗教観が表現されているのですね。

今でこそ日本は長寿国となっていますが、平均寿命が50歳を超えたのはほんの60年前。

江戸時代の平均寿命は30歳で、子供が7歳まで成長する確率は50%しかなかったそうです。

しょっちゅう人が亡くなっていて、今よりも死後の世界や神、仏といったものを身近に感じていたことでしょう。

現代日本人の多忙な日常生活ではすっかり追いやられてしまっている感がありますが、日本人の心として忘れたくないですね。

 

~囚人にやさしい国からの報告~ 犯罪学者ニルス・クリスティ

 先日NHKの「未来への提言」という番組で、ノルウェーの刑務所を取材していました。

紹介されていた刑務所は完全個室。

囚人は自由に私物を持ち込んで部屋で好きな音楽を聴いたりゲームもしていました。

服装は自由、煙草を吸うのも自由、キッチンも使えます。

鎖でつながれてはいましたが、キッチンには刃物も置いてありました。

食事はまるで家庭での団欒とかわらない雰囲気で、看守など刑務所の職員と囚人たちが同じテーブルにつき、料理を取り分けて食べています。

さらに、首都オスロから南に75kmのところにあるバストイ島は、別荘のような刑務所でした。

島全体が刑務所になっていて、ここには重犯罪を犯した人が収容されます。

立派な一軒家を囚人3~4人でシェアし、一日数時間の労働を終えれば自由に過ごすことができます。

休日には庭でBBQパーティをして、囚人が看守の家族を招いていました。

模範囚となれば、休暇も取れて家族のもとへ何日か帰ることもできます。

脱走の恐れはないのかと思いますが、ある模範囚は、「この刑務所が快適だからどこへも行こうとは思わない」と言っていました。

 日本では少年犯罪の凶悪化などにより厳罰化が叫ばれている一方で、なぜノルウェーでは囚人にやさしい政策を取っているのでしょうか?

番組では映画監督・作家の森達也氏がノルウェーの犯罪学者ニルス・クリスティ氏にインタビューしていました。

クリスティ氏によれば、「厳罰化により治安がよくなるわけではない」とのことです。

現にノルウェーの受刑者は1300~1600人に一人、イギリスでは600人に一人、アメリカでは100人に一人。

それよりもクリスティ氏は社会的弱者をないがしろにする社会、貧富の差や人種差別が引き起こす恐ろしさを強調していました。

 アメリカでは1980年代に南米からコカインが流入し、中毒者の犯罪が増えました。

そこで犯罪者を厳罰に処すべきという世論が高まり、スリーストライク法が全米の半分の州で採用されました。

これは3度有罪判決を受けると死刑、または無期懲役になるというものです。

スリーストライク法成立から16年、犯罪が減るどころか犯罪者が70%も増加し、刑務所は過密収容状態になり、暴動や殺人、火災が起きるなどの問題が生じています。

過密収容により財政難に陥り、受刑者の再教育用プログラムがカットされ、更生のために入る刑務所が悪事を学ぶための場所となってしまっています。

実際に映し出された刑務所の映像は、不衛生で狭い空間に3~4人詰め込まれていて、まるでオリにとじこめられた動物のようでした。

受刑者の表情は落ち着きなく、一触即発という雰囲気が漂っています。

クリスティ氏は「こんなひどい環境の中で、清い心を取り戻せるのか。受刑者のほとんどが幼少のころから恵まれない経済・家庭環境の中で育ち、非人間的な扱いを受けてきた。人間的な心を取り戻すには、整った環境の中で心静かに自分を見つめなおす必要がある。」と言います。

 ノルウェーでは1960年代に少年犯罪が増加し、アメリカと似たような問題が起きました。

厳罰化したもののその再犯率は90%、刑務所の過密収容により財政をひっ迫するようになったので、刑事政策の改革に踏み切ったそうです。

同じ過ちを繰り返させないために、刑務所の環境を整え心静かに自分を見つめさせる、犯罪者を社会から隔離するのではなく、社会奉仕させて更生させるという政策に変換し、現在のような低い犯罪率を達成しました。

 ノルウェーでは100年以上も前から参審員制度がありました。

一般市民が裁判官とともに判決決定に関わります。

ほとんどの参審員は裁判に参加することで、「犯罪者は特別凶悪な性格をもっているモンスターではない。誰でも犯罪者と同じ環境に置かれれば犯罪を犯す可能性がある。」というように見方が変わるそうです。

日本の裁判員制度はノルウェーの参審員制度をお手本にしています。

また、この他に対立調停委員会というものがあり、地域の事情に詳しい一般市民が調停員を務め、紛争を解決しています。

例えば男女のもつれで暴力沙汰になったような場合に、一方を被害者、他方を加害者として罰を与えるのではなく、どうしたら問題が解決するのか、その解決法を一緒に考えます。

委員会に持ち込まれる案件の90%を解決しており、ほとんどの場合は話し合いによって解決できるということになります。

これは修復的司法といい、カナダやニュージーランドの先住民族の中にあった「近所の寄り合い」のようなメカニズムなのだそうです。

 ニルス・クリスティ氏は「語り合いが社会を帰る。人との交流が私の大学だ」と言っています。

人間的な交流があれば、犯罪には発展しづらい、自分のすぐ隣にいる人のことを気にかけ、人と人との感情的な対立は事件としてではなく、その地域の問題として解決する。

また、受刑者を一般の人と区別して非人間的な扱いをするのではなく、誰でも犯罪を犯す可能性があるのだと認識して、受刑者も社会に受け入れ、同じ人間として尊重する。

番組はクリスティ氏の「すべての人間は人間である。」という言葉で締めくくられていました。

 クリスティ氏の言っていることは、とても理想的な社会のように思えました。

現在日本では厳罰化の傾向にありますが、メディアが凶悪犯罪を感情的に報道し、「次はあなたが被害者になるかもしれない」と不安をあおって厳罰化を誘導している一面もあるそうです。

ノルウェーではメディアは冷静に報道するよう務めているそうです。

しかし、凶悪犯罪を犯し、反省の態度も見せていないような受刑者についてはどう考えたらよいのか?

犯罪被害者の遺族のケアはどうするのか?

人口の多い国が人口480万人しかいないノルウェーと同じような刑務所を整備することができるのか?

あまり快適な刑務所を作ると、そこに入りたいがために犯罪を犯す人が出てくるのではないか?

などなどいろいろ疑問が出てきてしまいました。

 日本でも裁判員制度が始まりました。

一般市民が裁判に関わり、被告の話を聞き、なぜこのような犯罪を犯したのか理解しようとしていくうちに、犯罪者に対する偏見が薄れていくかもしれません。

そういう意味では裁判員制度は社会を変える第一歩になるのかもしれないと思いました。

映画「おいしいコーヒーの真実」

 この映画は衝撃的でした。

身近なコーヒーについて、どこそこのカフェのコーヒーがおいしいとかそういうことは気にしても、そのコーヒーの生産者については無知でした。 

先日「スタバではグランデを買え」という本についてブログに書きました。

スタバやタリーズなどシアトル系カフェでのコーヒーの価格設定の秘密について。

その本によるとトールサイズのコーヒー一杯330円に占めるコーヒー豆代はわずか10円にも満たないと書いてありました。

「そんなものなのか。」とその時は深く考えなかったのですが、映画「おいしいコーヒーの真実」ではその安いコーヒー豆を生産しているコーヒー農家の悲惨な現状が描きだされていました。

「おいしいコーヒーの真実」公式サイト http://www.uplink.co.jp/oishiicoffee/

映画によると・・・(価格はすべて映画制作当時のものなので、現在は変わっている可能性があります)

コーヒー豆の価格はニューヨークやロンドンの商品取引所によって決まります。

国際コーヒー協定の破たんや裕福な先進国優位の不均衡な貿易システムにより、コーヒー豆の価格は農家の生活が維持できないほど下落しています。

ニューヨーク市場では、南米産のコーヒー豆の場合、農家の生産コストを下回る価格で取引されています。

エチオピアのオロミア州の農家の場合、必要最低限の生活をしていくためには1キロのコーヒー豆につき10ブル(約1.3USドル)の収入が必要なのに対し、その10分の1の1ブルでしか買い取ってもらえないとのことでした。

この必要最低限のお金というのは、テレビや電化製品といった贅沢品を買うためのお金ではなく、食べ物、衣服、子供に教育を受けさせるといった人間らしく暮らすためのお金です。

満足に教育を受けられないどころか、ろくに食べられないため栄養失調の子供が増え、毎年700万人が緊急食料援助を受けています。

スタバにコーヒー豆を供給しているエチオピアのシダモ農園でも飢餓状態の子供が増えているとのことでした。

コーヒーでは生活が成り立たないため、生きるために、何年もかけて大切に育て上げたコーヒーの木を切り倒し、よりお金になるチャットという麻薬の植物(欧米では違法な麻薬)栽培に転換する農家も増えています。

あるコーヒー農家は、「先進国からの援助を受けるよりもコーヒー豆を適正な価格で取引して自立したい。何よりも子供の前で物乞いしている姿をさらさなければならないのが一番みじめだ。どれだけがんばって働いても希望はないのだということを身をもって子供に教えているようなものだ。」と言っていました。

コーヒーは石油につぐ取引規模だそうですが、その利益はコーヒー市場を支配する大手コーヒー企業ばかりにいき、コーヒー豆農家には還元されていないというのが実態です。

このような状態が改善されなければ、いい豆を作りたいという農家はいなくなり、結果としてコーヒー豆の質は落ち、ゆくゆくはコーヒー産業にも影響が出るでしょう。

スタバのグランデは店側にとってもそれを飲む客側にとってもお得な値段設定になっているそうですが、これをコーヒー豆の生産農家、スタバ、客すべてにとってベストな価格設定にできないものでしょうか。

 映画の中ではコーヒー農家の生活を少しでもよくするために奮闘しているエチオピアオロミア州の農協連合会代表のタデッセさんという人が紹介されていました。

コーヒー豆は輸入業者の手に渡るまでに何度も中間業者が入るという複雑な流通ルートを経ているのですが、タデッセさんは生産者から適正な価格で直接豆を仕入れてくれる輸入業者や卸問屋を探し求めて、豆を売り込んでいました。

そして私たち消費者には「コーヒー豆農家の悲惨な実態を知ってほしい。そしてフェアトレード(公正な取引)商品を求めるようにしてほしい。消費者が変わればコーヒー業界も変わっていくだろう。」と訴えていました。

ネットで調べてみたところ、都内にいくつかフェアトレードのコーヒーや紅茶を提供しているカフェがあるようです。

スタバやタリーズはサンドイッチなどのパン類がおいしいし、雰囲気が好きなので時々利用しています。

これからも利用するでしょう。

でも今後は店選びの中にフェアトレードカフェも加えて、少しでも自分のお金が生産者支援につながればと思います。

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